名古屋市科学館

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オハ35 2001号

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展示作品の狙い

鉄道ひろばに、子どもたちの夢をはぐくみ、科学教育の一層の振興を図るため、かつて客車列車に連結されていた3等客車を展示しています。過去の鉄道文化について理解を深めて頂きたいと思います。

知識プラスワン

【オハ35とは】
  オハ35は、客車の形式名です。電車の床下にはモーターがあり、気動車の床下にはエンジンがあり、それぞれの車両が走行する際の動力となります。しかし、客車には動力が付いておらず、蒸気・電気・ディーゼルなどの機関車に牽引されて走行します。オハのオは車体の重量を示し、32.5tから37.5tまでの重量の車両であることを示しています。オハのハは、3等車であることを示しています。イは、1等車。ロは、2等車を意味します。現在の鉄道車両では、1等・2等・3等の区分はなくなっています。JRの車両では、グリーン車と普通車の区分があり、3等車は普通車に相当します。35の3は鋼(硬い鉄)製客車であること(3〜9が鋼製客車)、5は2軸ボギーという台車を使用していることを示しています(1〜7が2軸ボギー車)。
1939(昭和14)年から製造が開始され、1301両もの多くの車両がオハ35という形式に分類されていました。
【オハ35 2001】
1939(昭和14)年6月12日に名古屋市に工場があった日本車輌製造株式会社で、スハ33650として落成しました。1941(昭和16)年にオハ35のトップナンバーであるオハ35 1に番号が変えられ、長い間この番号で走行しました。1966(昭和41)年11月16日に国鉄盛岡工場で電気暖房を取り付け、オハ35 2001に改番された後、1972(昭和47)年6月28日に廃車になりましたが、最後の配置は秋田運転区でした。その後、岩手県盛岡市の岩手県営交通公園で展示され、JR東日本大宮総合車両センターで保管され、2026(令和8)年3月28日から当館で展示されています。
【戦前製鋼製客車のあゆみ】
鉄道省の客車は、1927(昭和2)年に製造されたオロ41700形(のちのオロ30形)より車体が木製から鋼製に変更されました。これは、列車事故が発生した際の乗客の被害が木製では甚大であったために実施されました。しかし、当時の鉄道省や車両製造会社は、鋼で車体を製造するノウハウはあまり持っておらず、造船会社などに技術や材料の提供を仰いだとのことです。1929(昭和4)年に製造された客車からは車体の長さが20mに長くなり、1932(昭和7)年に製造された客車からは屋根の形状がダブルルーフ(二重屋根)からシングルルーフ(丸屋根)に変更されました。台枠の製造方法も1938(昭和13)年にリベットから溶接に変わりました。窓の幅は600mmがほとんどでしたが、1949(昭和14)年に製造されたオハ35から1000mmが一般的になりました。
【鉄道電化と電気暖房】
このオハ35 2001号は、1966(昭和41)年に電気暖房装置が取り付けられましたが、これは、東北本線仙台―盛岡間が1965(昭和40)年10月1日に電化されたことと関係があります。電化により、客車を牽引する機関車は蒸気やディーゼルから電気に変わり、機関車が架線から電気を取り入れ連結されている客車に電気を供給できるようになったのです。その電気で客車内を暖房しました。また、運行されていた場所が盛岡という寒い地域であったことも暖房が取り付けられた理由と言えるでしょう。この仙台―盛岡間は交流20000ボルトの電化でした。日本で最初に営業用の電気鉄道が走行したのは1895(明治28)年のことで、直流電化でした。日本の鉄道で交流電化が行われたのは、1954(昭和29)年の仙山線(宮城県・山形県)が初めてでした。交流は直流よりも高い電圧で電気を送ることができるため、変電所の数が少なくても遠くまで電気を送ることができるというメリットがあります。

 


【 参考資料 】

オハ35系客車のあゆみ(前編)(2軸ボギー客車) 鉄道ピクトリアルNo.748(2004)岡田誠一  (鉄道図書刊行会)
文 学芸員 藤本雅之

 

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