名古屋市科学館

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展示ガイド

B6型蒸気機関車

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展示作品の狙い

科学館(展示室)の外に、名古屋にゆかりの深い蒸気機関車の展示があります。交通、鉄道、蒸気機関などの理解を深めていただきたいと思います。

 ★現在、B6型蒸気機関車は外部に運び出しており展示していません。
その場で動輪を動かす動態展示を行うための計画を令和4年度に策定しました。
令和7年秋頃の科学館屋外展示場での展示公開を目標に作業を進めています。
「名古屋市科学館B6型蒸気機関車及び旧型客車等の展示に係る基本計画」はこちら

知識プラスワン

【B6型蒸気機関車とは】
 1898(明治31)年に鉄道作業局(現在のJRの前身)が機関車の形式称号を定めました。このとき、この蒸気機関車につけられたのがB6という称号です。D51(デゴイチ)はよく知られています。
 B6型蒸気機関車の基本設計はイギリスで行われました。B6には、製造年、製造所によって、2100、2120、2400、2500の4つの形式があります。科学館に展示した2412号は、1904(明治37)年、ドイツのハノーファー社で製造されました。日露戦争の軍事物資を輸送するために輸入されたといわれています。
 その後、1905(明治38)年4月から鉄道作業局の所属となりました。大正時代には中央線、昭和になってからは武豊線、高山線を走りました。そして、1948(昭和23)年1月に高山機関区で廃車となってから、石原産業株式会社四日市工場に払い下げられ、1968(昭和43)年7月まで、工場内の専用線で貨物、社員の通勤輸送のために使われました。
 名古屋あるいは中部地域にゆかりの深い蒸気機関車のひとつといえましょう。
【蒸気機関、蒸気機関車とは】
 18世紀前半、コークスを使った製鉄法が確立すると、コークスのもとになる石炭の採掘が活発になりました。しかし、採掘が進むとわき水に悩まされるようになったため、排水用の機械として蒸気機関が発明されました。ニューコメンの蒸気機関が最初、用いられました。しかし、ニューコメンの蒸気機関はシリンダー全体を毎回冷却するために熱効率が悪く、冷却部分をシリンダーから分離した効率のよいワットの蒸気機関が考案されました。
 それでも、ワットは蒸気機関を大気圧で使い続けました。高圧の蒸気機関は危険だから、というのが理由でした。高圧の蒸気機関にして輸送用の機械に作りかえたのがトレビシックです。1804年、蒸気機関をレールにのせて輸送用機械を完成させたのがトレビシックです。1825年、世界で初めて商用の鉄道としてイギリス、ストックトン~ダーリントン間を走行したロコモーション号を製作したのがジョージ・スティーブンソンです。
【わが国初の鉄道】
 1872(明治5)年に、わが国で初めて新橋・横浜間に鉄道が敷設されましたが、そのとき鉄道技術をもたらしたのは、鉄道発祥の国・イギリスでした。このときに輸入された第1号蒸気機関車は、現在、さいたま市の鉄道博物館に展示されています。

 


【 参考資料 】

1号機関車からC63まで(2008) 片野正巳(ネコ・パブリッシング)
蒸気機関車の技術史(2009) 齋藤晃(交通研究協会)
イギリスの鉄道のはなし(2004) 高畠潔(成山堂書店)
B6機関車動画 個人所有YouTube画像

文 学芸員 馬渕浩一

 

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