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ミシン

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展示作品の狙い

布や革を糸で縫うミシンは、なくてはならない機械のひとつです。英語でsewing machineといいますが、machineの発音がミシンの語源になったといわれています。針の上下運動、糸をからませる釜(ボビン)の回転運動、布を送る送り歯などの運動が連動していますが、それらの複雑な運動がいかにして生み出されているのかを知っていただくことがこの展示の主な目的です。


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知識プラスワン

【上軸と下軸】
ミシンの動力源は電気で動くモーターです。モーターの回転によって、針の上下運動、釜(ボビン)の回転運動、布を送る送り歯の前後上下の運動が生まれます。
まず、モーターの回転はベルトを介して右横のはずみ車に伝えられます。はずみ車は回転をできるだけ一定にするためのものです。はずみ車の回転は、ミシン内部の上軸に伝わり、リンクを介して天びんの上下運動に、クランクを介して針の上下運動に変換されています。天びんというのは、縫い目に必要な上糸を必要なときに供給する役目をしています(図1)。
また、上軸の回転は、ベルト・カム・クランクを介して下軸に伝わります。下軸の回転によって、釜(ボビン)の回転運動(上軸の回転数の2倍)と布を送る送り歯の前後上下の運動が生まれます。

【針】
ミシンの針は、針の形状に加工された後に、焼き入れという熱処理が施されます。これによって硬くて強い針が生まれます。また、裁縫用の針と異なり、ミシンの針先端付近には穴があけられています。ここに上糸を通し、布を縫っていきます。

【釜(ボビン)】
針が布を貫通するとき、上糸もいっしょに布の裏側に引き込まれます。しかし、針が抜かれ布の表側に戻るときには、布との間の摩擦力により、上糸は布の裏側にループを作って残ります。
このとき、釜(ボビン)の回転によってループ状の上糸に下糸が通ります(図2)。こうして糸が抜けない縫い目が形成されます。これを繰り返すことで縫う作業が生まれるのです。

【縫うから刺繍へ】
単純な縫いから複雑な刺繍を行うには、ミシン作業者の熟練が必要です。しかし、いくつかのデザインを数値化することで、非熟練の作業者にもミシン刺繍は簡単なものとなりました。コンピュータ刺繍ミシンの誕生です。

【ミシンの歴史】
先端に穴があいた針を使い、そこに上糸を通すしくみのミシンは1830年代はじめに発明されました。しかし、発明者のアメリカ人ウォルター・ハントは特許をとらなかったため、この後、複数の業者による特許紛争の原因になりました。
アメリカ人のエリアス・ハウは、シャトル(ボビンケース)とボビンの考案を行い、今日のミシンの源流となるミシンを発明し、1846年に特許を取得しました。ハウはミシン製造の事業化を行いませんでしたが、よく似た構造を持つミシンの製造、販売活動をはじめたアメリカ人アイザック・シンガーに対して訴訟を起こし、莫大な特許料を手にします。
一方、シンガーは、さらにミシンの改良を重ね、1851年に特許を取得しました。そしてハウの製造販売権を取得したことから事業化を推し進め、やがてシンガー社のミシンはアメリカを始め世界的に普及するようになっていきました。またファッションが特権的な階級の人々のものではなく、市民に移ることを予測し、ミシンの月賦販売システムを導入して世界一のミシンメーカーになっていきます。
ところで、ミシンは日本にいつ頃紹介されたのでしょうか。1854年にペリーが2度目の来航をしたときに、将軍家にミシンを贈ったという記録が残っています。この後、1860年にはジョン万次郎がアメリカからミシンを持ち帰っています。日本で最初にミシンを扱った公人の女性は、天璋院篤姫だともいわれています。
ミシンが普及をはじめるのは明治期になってからのことです。初期は輸入のみで、修理を通じて技術を取得した人たちによって、徐々に国内生産が開始されました。最初の製造業者は、江戸時代までは鉄砲職人であった左口鉄造とされ、1881年に東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に国産ミシン第1号が展示されました。その後、洋装の広がりに伴い、ミシンが普及していきました。



【 参考資料 】

協力
ブラザー工業 株式会社
参考文献
「ミシン縫製の科学」繊維学雑誌第60卷2号(2004)鎌田佳伸
文 学芸員 馬渕浩一

 

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