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展示ガイド

歯 車

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展示作品の狙い

機械を分解していくとさまざまな構成要素になっていきます。これ以上分解することができない最小のものです。歯車もそのひとつで、最も重要なものといってもよいでしょう。
歯車にはいろいろな種類があります。歯車を組み合わせた8つの体験型の展示を公開しています。どの向きにどれだけ回転させると、どのような回転が得られるのか、入力と出力の関係に注意して欲しいと思います。どうやって動力を伝達するのか、そのための創意工夫が強く感じられます。歯車について理解を深めていただくことがこの展示品の目的です。

知識プラスワン

<和時計と歯車>
ここでは 17世紀頃日本に紹介された西洋式の時計とその後の日本式の時計への改良、そしてからくり人形への技術の伝搬を紹介し、それらに使われた歯車の歴史を解説したいと思います。
1600年頃のことです。徳川家康に朝鮮から時計がプレゼントされました。ところがこの時計が壊れてしまったので、修理する人を探すことになりました。選ばれたのが津田助左衛門という人物です。京都の飾り職人、つまり今日でいう金属加工職人でした。彼は壊れた時計を徹底的に調査し、これと同じものを2台作りました。その功績が認められて、津田は家康に召抱えられ、尾張徳川家に仕えることとなりました。
当然、時計の中には歯車が組み込まれています。鋼を切削し(切ることです)ヤスリをかけて正確に形を整えていきました。歯車の製造は高い精度が求められます。歯車の山と山の間隔をピッチといいますが、歯車のどの部分においてもピッチが一致していないと、かみあった2つの歯車が滑らかに回転しません。現在は歯切り盤という工作機械で正確に削りだしますが、当時はすべて手作りでしたので、相当な時間をかけて1つの歯車を製作していたはずです。
当時の鋼の加工技術を示すものに、刀の鍔(つば)があります。透かし鍔(図)などを見ると、相当高い水準にあったことがわかります。穴をあけてそこからヤスリで削ってこのような装飾が施されたのです。透かし鍔は尾張で多く生産されました。名古屋市博物館の正面には、透かし鍔のモニュメントが飾られています。
家康にプレゼントされた時計は西洋式の時計でした。西洋式の時計とは、1日を均等に分割する定時法に従うものです。今日の時計と同じです。ところが、このころの日本では、昼と夜をそれぞれ6等分する不定時法が採られていましたので、家康がもらった西洋式時計は時計として機能するものではありませんでした。そこで、津田は改良を重ね、日本の不定時法に則った和時計を作りました。
<からくり人形と歯車>
これら時計の技術はからくり人形につながっていきました。時計のキーパーツは脱進機です。エネルギーを一定のはやさで開放していく重要な役割をしていることは、「機械式時計」の展示で解説していますのでここでは詳しく触れません。からくり人形の代表的なものの一つ、茶運び人形もその脱進機をもっています(写真)。ぜひ展示品で確認してください。
もうひとつ重要な点は、時計の部品が鋼もしくは真ちゅう(江戸時代後期から)で作られているのに対し、からくり人形の部品が木で作られていることです。鋼より木のほうが柔らかく簡単に部品が加工できるのではないかと思われるかもしれませんが、必ずしもそうとはいえません。
茶運び人形の左側に取り付けられた大きな歯車を見てみましょう。大きな木の板から切り出して削ったのではなく、8分割してつなぎ合わせて1つの歯車にしていることがわかります。よく見ると、木の繊維が歯車の中心から放射状に向いていることがわかります。大きな木から歯車を切り出すと、繊維が同一方向になり、歯車と歯車がかみあい、力が加わったときに裂けてしまう部分が出てくることを避けたのです。面倒な加工方法が採られたのはこのような理由によるものと思われます。この場合、つなぎ目のところで、山と山の間隔、すなわちピッチが他の部分と同一にせねばならず、より難しい設計、加工精度が求められました。

 


【 参考資料 】

協力
7代目玉屋庄兵衛
  
参考資料
和時計(1996)沢田平(淡交社)
図説からくり人形の世界(2005)千田靖子(法政大学出版局)
文 学芸員 馬渕浩一

 

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